ヨロヨロ旅行記  地震1年後の熊本城・阿蘇神社へ鎮魂の旅 2017年3月31日(金)〜4月14日(金)


3月31日(金)  出 発

家を出て姫路の従姉妹に会い播磨の「いちのみや道の駅」に暗くなる前にたどり着いたが、御朱印をもらう時間が過ぎていたので、
早い時間だったがヨロヨロホテルを開業、初日から寒い夜を過ごすことになった!

   4月1日(土)


播磨国一ノ宮 伊和神社(いわじんじゃ)兵庫県宍粟市

式内社、播磨国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

海神社・粒坐天照神社とともに播磨三大社の一社。
(ウィキペディアより)

     「天滝(日本の滝100選)」にトライ!


兵庫県養父市 天滝に行く道筋にある滝「糸滝」
頑張って登ったが残雪が多く天滝にはたどり着けず
泣く泣く戻ってきた。


天滝まで後400メートルになってだんだん雪が深くなり、
こんな道がこの先もずっと続いていて、一人なので、
遭難でもしたら危ないので引き返した。


夫婦滝

久遠滝(くおんのたき)

左から、駒の尾山(1281m)船木山(1334m)
後山(岡山県最高峰1345m)

愛の村ベルピール自然公園は、日名倉山(標高1047m)の
頂上近く850mにあり、「愛の村」のシンボル。大小2個の
フランス製のベルは日本一の大きさだだってさ?

宮本武蔵生誕の地に近く、武蔵を誘き寄せるために
武蔵の姉が捕らえられていたという山牢の跡


備前国一ノ宮 
石上布都御魂神社(いそのかみふつみたまじんじゃ)岡山県赤磐市

結構急なスロープと階段を心臓に負担をかけながら登り、5時ギリギリに神社に着いたがすでに社務所は締まっていて、直接神主さんの自宅に行って御朱印をいただく!

4月2日(日)  備前国一ノ宮 吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)



写真は 備前国一ノ宮 吉備津彦神社・岡山市一宮

日本一の大燈籠があり(高さ11.5m.、笠石8畳の日本一大きな燈籠です。
文政13年(1830年)から安政4年(1857年)の27年にも渡り寄付がよせられ、安政6年(1859年)に天下泰平を祈願して建立されたものです。
6段づくりの石段には1670余名の奉納者名が刻まれています。
非常に立派な神社です!

4月3日(月)  備中国一ノ宮 吉備津神社(きびつじんじゃ)


写真上は「備中国一ノ宮 吉備津神社・岡山市吉備津」
本殿の大きさは、出雲大社本殿、八坂神社本殿に匹敵するもので、
随所に仏教建築の影響がみられる。(ウィキペディアより抜粋)!

(1573年-1591年)の造営とされる。
総延長398m。岡山県指定文化財に指定されている長い見事な回廊。


豊後国一ノ宮 素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)・広島県福山市

社伝によれば天武天皇の治世であった7世紀ごろ(679年か)に創建したとされる。
その後、遣唐使であった吉備真備が唐から帰国した後の天平6年(734年)に備後から素盞嗚命を播磨の広峯神社に勧請したとされる。

『釈日本紀』巻7(卜部兼方、鎌倉時代中期)に引用された『備後国風土記』逸文(奈良時代か)の「蘇民将来」説話に「疫隈國社(エノクマノクニツヤシロ)」とあるのが当社とされるが、本来は摂社である「蘇民神社・疱瘡神社」であるとする説もある。
『延喜式神名帳』には「備後國深津郡一座 須佐能袁能神社」と記載されている。

後に神仏習合によって仏教系の神である牛頭天王を祭神とするようになり、「早苗山天竜院天王寺」という真言系の別当寺が作られた。
本堂である本地堂(現 天満宮)には本尊本地仏として聖観世音菩薩が祀られた。
一般に牛頭天王の本地仏は薬師如来であるが、当社の観音祭祀の理由は不明である。また脇侍に不動明王と毘沙門天が祀られた。

「江熊(エノクマ)祇園牛頭天王社」が正式な社名であるが、天王社、祇園社などとも呼ばれるようになった。
明治の神仏分離により、神社の道を選んだ当社の別当僧は還俗して神官となり、祭神は本来の素盞嗚尊に改め、現在の社名に改称した。(ウィキペディアより抜粋)

備後一宮吉備津神社



御 池
昔はここで禊をし心身を潔一休さんにお詣りしたそうな!

備後一宮 吉備津神社は、大同元(806)年、備中吉備津神社より勧請されたと伝えられており、幾度かの御社殿焼失・再営の後、
慶安元(1648)年、初代福山藩主であった水野勝成公により、現在のご本殿(国指定重要文化財)が造替されました。

御祭神は備後開拓の神様として、また、開運招福・厄除け・交通安全・長寿の神様として、備後一宮・ 一宮(いっきゅう)さんと人々に親しまれ、広くご神威を仰がれています。(吉備津神社公式ホームページより)

4月3日(月)  安芸国一ノ宮 厳島神社遠望


厳島神社を対岸より遠望

地元の漁師が潮干狩りをしている。

4月4日(火)  山口県 角島(つのじま)


死ぬまでに一度は行ってみたい所ナンバーワンに選ばれた橋のある風景!

夕日の角島大橋(山口県長門市)!

油谷湾(山口県鳴門市)界隈!

油谷湾(山口県鳴門市)界隈!

油谷湾(山口県鳴門市)界隈!

川尻岬(山口県鳴門市)

クレオパトラ、小野小町と並んで世界3大美女と言えば楊貴妃。絶世の美女・楊貴妃が亡くなったと伝えられている地、山口県の二尊院!

楊貴妃の像と美しくないじい様(山口県鳴門市)

今話題の「元乃隅稲荷神社」(道はかなり狭いところあり)

日本一入れにくい賽銭箱のある神社!

千畳敷!

鳴門市「湯元温泉」!

4月5日(水)  宮地嶽神社(福岡県福津市)


宮地嶽神社の創建は社伝では約1600年前にさかのぼるとされ、
息長足比売命(神功皇后)が、三韓征伐の前にこの地に滞在し、
宮地岳の頂に祭壇を設け祈願して船出したのが始まりといわれる。
(ウィキペディアより抜粋)!

宮地岳山頂には宮地嶽古宮の祠、日の出参拝所がある。

この夕日と参道が一直線に並ぶ光景を「光の道」と称し
人気だがこの日は時期でないし曇っていたので見えなかった。

年に二期(2月下旬および10月下旬)あり、
近年ではこの夕日と参道が一直線に並ぶ光景を
「光の道」と称し観光イベントも執り行われている。
その日ならこんな光景が見えたはずだ(笑)!

日本一の大鈴!

阿吽の面が珍しい!

4月6日(木)  平戸島(長崎県平戸市)


平戸大橋!

山野カトリック教会

教会の門にあった小さな像

小さな像が門にあった!

灯台に行くとき見つけた平和そうな景色!

中江ノ島
禁教時代初期に平戸藩によるキリシタンの処刑が行われた
記録があります。殉教地としてキリシタンが密かに崇敬した、

岩からしみ出す聖水を採取する「お水取り」が行われた
聖地でもあります。禁教期の固有の信仰形態を示す資産です。

ガスパル様
188福者のひとりガスパル西は、1609(慶長14)年に処刑され、
生月最初の殉教者となった。十字架がたつ墓地「クルスの辻」での
処刑を望んだという。クルスが「黒瀬」となったらしい。

カトリック山田教会

棚田が沢山あり楽しい所だ!

人懐っこいお猫様と遭遇!

塩俵の断崖!「御崎柱状節理」(ミサキチュウジョウセツリ)

高所恐怖症にとっては目がくらむ程の断崖絶壁!

大バエ灯台

生月島(イキツキシマ)は
断崖と不思議な草原と棚田が続く快適なドライブコース
「生月サンセットウェイ」CMなどでもよく使われている名勝地!

山桜が満開でそれを見てるだけでも十分観光気分が味わえた!

ダンジク様へ行く断崖を降りる急な石段!
行きは下りの階段だが、帰りは心臓が口から出んばかりの厳しい登りで、ここで倒れたら次の人が来るまでいつのことになるやら?
多分白骨化するまで発見されることはないだろう?
信者以外はお勧めの場所ではない

ダンジク様
キリスト教が禁教となって、弥市兵衛と妻のマリヤ、そして息子のジュアンの3人が取り締まりの緩いと言われていた五島へ渡るために、生月島南端の断崖が続く海岸沿いのダンジクの茂みの中に隠れていたとき、

息子のジュアンが海岸に出て遊ぶ姿を船で捜しに来た役人に見つかり、全員が処刑されたそうです。この3人を祀る祠が「だんじく様」と呼ばれています。

長崎は何と言ってもシゲ爺的には晩白柚だ!

とても美しい春日の棚田!

平戸ザビエル記念教会

郵便配達の人に聞いたら、寺院と教会の見える風景!がお勧めだということで雨の中行ってきました!

寺院と教会の見える坂道!

ザビエル教会遠望!

坂道を歩く買い物帰りの老婦人!

工事中だった生月島(イキツキシマ)大橋!

大バエ灯台にあった歌碑!

4月7日(金)  雨の熊本城


石垣の石を仮置き!

危うく今にも崩れ落ちそうな 飯田丸

飯田丸??

屋根瓦のなくなった天守閣遠望!

4月7日(金)  雨の阿蘇神社


楼門前の広場

全壊した拝殿

歪みがあるもののかろうじて立っている環御門の一部

倒壊した楼門!

4月7日(金)  安蘇外輪山を走る


阿蘇山系ススキノある風景1

阿蘇山系ススキノある風景2

阿蘇山系ススキノある風景3

阿蘇山系ススキノある風景4

4月7日(金)  途中で見つけたちょっとした景色!


筑後川昇開橋
日本国有鉄道佐賀線に存在し、筑後川をまたいで福岡県大川市と佐賀県佐賀市諸富町を結んでいた鉄道用可動式橋梁である。佐賀線の廃線後も保存され、現在は歩道橋として活用されている。
旧筑後川橋梁として重要文化財および機械遺産に指定されている。
ウィキペディア

古閑の滝(こがの滝)

杵築城(木付城)

奥阿蘇の蕎麦屋さん

4月8日(土)  原尻の滝(日本の滝百選)大分県大野市


チュリップ祭りの真っ最中!

川原から見た川尻の滝

上から見た川尻の滝

上から見た川尻の滝

国東半島・糸ヶ浜海浜公園

水蒸気に包まれた糸ヶ浜海浜公園

4月11日(火)  ホルンフェルス大断層(山口県萩市)


派手な観光地ではないけれど、一度は実際に見てみたい
日本の観光スポット「須佐ホルンフェルス」!

須佐湾の奥から北に5キロメートルほど進んだ海岸沿いに、鮮やかな
灰色と黒色の層が織り成す高さ約15mの断崖がそびえ立っています。

須佐湾

桜満開の浜田漁港「道の駅・ゆーひぱーく浜田」にて!

浜田漁港を一望!橋は、マリン大橋です。

道の駅・ゆーひぱーく浜田」にて!

4月12日(水)  島根県の一本桜!


山本の白枝垂れ桜
桃山時代に中国から苗を取り寄せたと言われ、推定樹齢が400年にも達する「山本の白枝垂れ桜」。江津市川平町の山本家跡地にある一本桜で、高さは約15m、幹まわり2・5m以上、垂れ枝は3〜4mの長さになり、見頃の時期は白い小花が咲き「花すだれ」を思わせる光景が広がります。
昔から「林堂(りんどう)」という愛称で地元の人々からも親しまれており、県の天然記念物にも指定!

江津市川平町界隈の山は山桜が満開状態に!

近所の個人のお宅の見事な桜!

妙向寺前の桜!

三江線「川平駅前」の桜。

三江線「川平駅」に一両のジーゼル車が入線!

温泉津温泉「湯治の湯元湯」
発見されてから千三百年の歴史を持つ元湯は、温泉津に永らく湯治場としての評判をつくってきた由緒ある温泉。現在でもその薬効の高さから
入湯客のたえることがない。古いだけに今風の洗い場もなく
温泉の入り方に地元独特のマナーがあるようだ。


大田市・法蔵寺の境内にある大樫の木!

4月13〜14日  島根〜岡山〜京都〜大阪へ!


出雲 阿国(いずもの おくに、元亀3年?(1572年) - 没年不詳)

安土桃山時代の女性芸能者。ややこ踊りを基にしてかぶき踊りを
創始したことで知られており、このかぶき踊りが様々な変遷を得て、
現在の歌舞伎が出来上がったとされる。ウィキペディア

日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)

日御碕神社は島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社。
式内社で旧社格は国幣小社である。通称、みさきさん。
出雲大社の「祖神さま」として崇敬を集める。 ウィキペディア

『出雲日御碕灯台』

明治36年(1903)に設置され、
高さは43.65mと日本一の高さを誇ります。海面から灯塔の頭上までは63.30あります。光度は48万カンデラで夜間約40km沖合まで達し、100歳を越えた今なお現役で海の安全を守っています。

外壁は松江市美保関町から硬質の石材を切り出して使用した美しい石造り。内壁はレンガ造りで施され、外壁と空間をあけた特殊な二重構造となっています。その歴史や文化的な価値の高さから、平成10年に「世界の歴史的灯台百選」の一つに、平成25年に国の登録有形文化財に選ばれました。出雲観光協会ホームページ

経島(ふみしま)

ミネコの繁殖地としても有名国の天然記念物に指定
この島は日御碕神社の神域として
神職以外の一般の立入りは禁止されており、年に一度8月7日の例祭の時のみ、宮司だけがその島に舟で渡ることができます。

別名夕日の祭りといわれ、天と地と海が織り成す壮大な「経島」の
夕景はまさに神ご降臨といった雰囲気に満ち、刻一刻日が沈む中で執り行われる様子は神々しさが漂います。出雲観光協会ホームページ

筆投島
平安時代の画聖巨勢金岡(こせのかなおか)が、この島を描こうと
努めたが、朝夕に島影の異なる美観に、遂に描ききれず、
その筆を投げ、島の絶景を讃えたことから筆投島と呼ばれるように
なったと伝えられている

道の駅・秋鹿なぎさ公園の朝
宍道湖の朝は天気も良く清々しい目覚めだった。

江島大橋(えしまおおはし)
中海の上流側にある大橋川は松江港の港湾法に基づく港湾区域になって
おり500t級の船舶が通航するため、江島大橋を含め近隣の橋梁では
勾配が大きいものが多く、2013年12月28日から放映されている

ダイハツ工業の「タントカスタム」のCMには軽自動車では坂道は非力だ
という通説を覆すべく、その走行性能を実証するため江島大橋が登場
しており、CMでは橋の急勾配から「(アクセル)ベタ踏み坂」

と表現されている。なおCM製作時はCGの使用は考慮されておらず、
当橋を見つけた際はスタッフ一同驚き、CM撮影の際には迫力が出る
ような構図を狙ったという。ーウィキぺディア


2016年10月の鳥取県中部地震で被害を受け、自慢の登り窯が壊れた
河本さんの自宅を訪ねる。登り窯の修復は進んでいたがまだ火を入れる
ところまでは行ってなかった!


出雲大神宮(いずもだいじんぐう)

亀岡盆地東部に立つ御蔭山(みかげやま。御陰山、御影山、千年山とも)の山麓に鎮座。古くは御蔭山を神体山として祀る信仰があったとされ、社殿は和銅2年(709年)に創建されたと伝える。

「元出雲」の別称は、
出雲大社が出雲大神宮からの分霊とする社伝に由来する。いわゆる出雲大社は明治時代に至るまで「杵築大社」を称していたため、江戸時代末までは「出雲の神」と言えば出雲大神宮を指していたとされる。
現在の本殿は重要文化財に指定されている。ウィキペディア

神体とする御蔭山と手前の池は宮池 ウィキペディア

途中で見つけた誰もいない夜桜見物!

山の上は竹田城址
雲海の竹田城址は有名だが偶然目に入った満開の桜並木に飾られた
山のてっぺんの石垣跡も面白いんじゃないかな?

こうもり岩のケヤキ
奥津温泉の近くの富村と言うところに4駆でなければ行けないような
山道を登った先にある地元の人も「知ってても行かない?」
山道を登り始めると、すぐに「こうもり岩」
(コウモリが棲息していたことからの命名らしい)。

地元では「こうぼれ岩」と呼ばれているそうで。高さ10.4m、
幅14.4mの一枚岩である。岩の裏側にまわると
目の前の岩の上に生えた何本かのケヤキが現れた。

 こうもり岩の縁(へり)に着生した一本のケヤキは大きく、
そこから根を逞しく長く伸ばして、一方では岩にしがみつき、
もう一方ではつっかい棒をして、岩から滑り落ちそうになるのを
必死でこらえている感じ。生きるとは大変なことなのだ。
 特に、下から見上げる姿に迫力があるように思われる。

出合の四季桜
遅咲きなので蕾はまだまだ硬く樹形しか見てもらえませんが、一見の
価値ありですが、なりしろ道が悪く山道は慣れてるはずのシゲ爺を持ってしても「エライとこに入ってきてしまった」と後悔したが、
花の時期に出会ったらきっと満足できたと思う。

島田さん家の甘えん坊のお犬様!

出雲そば!

あえてお気に入りの一枚!