リタイアからの出発 ヨロヨロ旅行記 四国88ヶ所遍路旅


 
高野山   

2回目遍路旅  2007年4月25日(水) 

 

ありがとうございます

ありがたく四国遍路を満願しました。

八十八ヶ寺を打ち上げてさわやかな気持ちで高野山にお礼参りです。














 

1回目遍路旅  2006年4月23日(土) 9日目 PM16:30 フェリー

 


フェリーで高野山へ

滑り込みセーフ!フェリー乗り場に行けば、船は出るところ!待ち時間ゼロで出港は良かったのか、悪かったのか?

船内はお遍路さんで私の寝るスペースがないじゃあぁりませんか!外に出てきたが、ちょっと寒い。

外は寒いので、元運転手といたしましては、船で寝れないのは許せない、ドライバー室が空いてるので、雑魚寝ではなく、トラックの運転手にまじり、楽々ベットでねてます。

約1300Kの遍路の旅の終わりも完ぺきに幕がひけました。合掌

四国88ヵ所を満願して、高野山に向かおうと車に乗っ時、前を身体の不自由なおっちゃんが横切った。

歩き遍路の人に普段声はかけないのだが(命懸けでやってると言ってもオーバーでない)多分満願だろうからと思い「満願したのなら乗って行きませんか」と言ったら、何とも嬉しそうな顔をして乗ってくれ、今夜の泊まりの旅館まで送らせて頂いた。

大分のその人は脳梗塞で半身にかなり重い麻痺が残り、足を引きずるように歩いていた。春と秋毎年通って五年掛かったそうだ。

厳しい山道の続く遍路道は、元気な人でも40日掛かる。年寄りなら60日は覚悟しなこれば回れないらしい。それを考えれば、あの人はさらに倍位はかかったのではないだろうか。

山道で日が暮れたこともあったそうで、「本当に苦しかった」と、うっすら涙を浮かべて話す、そんなおっちゃんに安物の感動など出来るものではない。

おそらく山道などは歩くので無く、這って進んだのではないかと思う、たった一人の寂しい厳しい道中、同行二人、お大師様が一緒と言っても手を引っ張ってくれる訳でないが、満願出来たと言う事は、精神力の他にやはり、お大師様が着いて歩いてくれたとしか思えない。

その精神力で脳梗塞の麻痺も克服し、お礼の遍路にまた来れる事をお祈りしてます。無事の満願おめでとうございます!

10日目 4月24日(月) 高野山へ 


高野山への道は

朝7時 高野山に着きました。途中の桜並木はまだ散ってない古木に混じり、ショッキングピンクの桜の花が見ごろで、木は若いが沢山植わっていて、嬉しい今の時期の桜でした。

さあ高野山は広すぎていったい何処に行けば良いんだ、お大師さんは何処で待っていてくれるのだ。


金剛峰寺 山門


金剛峰寺 本堂

近くのお寺で私の行き先を聞いたら実に親切に教えてくれた。

まず金剛峰寺にお参りして、奥の院のお大師さまにお礼を言うそうです。

外は寒い 気のせいでなく、凜として寒い、時間が早いため誰もいない金剛峰寺の広い境内を一人じめ!


寒いはずです

山門前の枝垂れ桜は三分咲きです。


奥の院に向かう途中

金剛峰寺(こんごうぶじ)と奥の院にお礼参りするらしいので、一の橋から奥の院まで約ニキロ、駐車場からだと往復5キロの道を快調に歩いてます。

途中の寺の桜は満開でした。


名家の墓所が列ぶ山道

名前の知った大名の墓が生前の力を誇示する様に並びます。


高野山、奥の院

この先は撮影はおろかガムまで吐き出し、脱帽してのお参り。

何だか本当に弘法大師がいるような気になる、厳かな場所である。

表参道を歩きながら

歴史に出てくる、名だたる大名の墓を見ると、苔むし傾き、時の流れの空しさを感じる。

同じ墓所に戦った敵同士が葬られ、静かに歴史の中に眠っている、あの激しい戦いは何の為の戦いだったのか、人間の欲望が戦いを正当化すると言う、愚かな行為を今だ繰り返す。

おそらく地球破滅の日まで気がつかないので有れば、私としては「どうでもいいですよ」と言うしかないが、若者よ力いっぱい生きて人生を楽しんで!

私も人生を、そうして楽しく力いっぱい生き、こうして振り返る時間も持て、最高に幸せな人生だったとみんなに自慢出来ます。

この墓は「紀州初代潘主 徳川頼宣」の墓所、(石塔は灯籠の後ろの小さな石です)実に簡素で奥ゆかしく、その人となりがしのばれる。死んで後まで力を誇示するような、まるで広告のような墓がある中で、美しい墓だ!

この写真がこの旅最後になります。なんだ最後は墓の写真か、と思うでしょうが、人間 幸せに一生をおくれるかどうかは、分かりませんが、死ぬことだけは皆平等に与えられてます。

この事実をどう捉え、どう生きるか、それが問題だと思いませんか。

自分が満ち足りてる事を知り、満足して生きるか、本当は満ち足りているのに、不満だらけの人生をうつうつと生きるかは、心の問題であり助言はできても、満足をあたえることは出来ません。

難しいことを考えないで、今生きてるありがたさを思えば、小さい不満はどこかにいってしまうのではないだろうか。

生意気なことを最後まで書きましたが、還暦を迎える年寄りの薄っぺらな人生訓だと笑いとばして下さればありがたい。四国遍路で出会った沢山の人達に感謝!


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