ヨロヨロ旅行記 弾丸の旅「輪島」 2009年6月6日(土)〜6月7日(日)


●6月6日(土)  三重県→名古屋→輪島市

  22時00分出発 田舎を出る時は、霧雨だったが一時間もしない内に土砂降りとなってしまった!夜中の零時すぎ、予定通り「紀勢自動車道」に乗ったが、雨は名古屋辺りまで降り続き明日が不安になる。初めて走る東海北陸自動車道の長良川SAで「ヨロヨロホテル」を開業したが、その頃になって、やっと雨も上がってくれた。

初めての高速道本格走行の「ヨロヨロ号」だが、ドライバーのシゲ爺は、素直に喜べない!と言うのは「高速どこまで行っても土日祝、千円」につられて走りに走ったが、コースや条件を研究して乗らないと、乗り継ぎの度に千円が徴収されるので、結局高岡までに三千円ほどかかってしまった。(請求書がきてないのでよく分からないが、乗り継ぎ走行は、本当の請求書では安くなってるかも知れない)

お金の額ではなく、よく調べもしないで、人やマスコミの口車にまんまと乗せられたのが悔しいシゲ爺ですが、もうひとつ高速道のスピードについて行くのに精一杯のシゲ爺にとって、現役の頃には感じなかった高速走行の疲れがひどく、高速道の移動は「ヨロヨロ旅」には似合わないのが、すぐ体感したのであります。

でも今回はこの方法を最大のテーマに計画した旅なので、帰るまでこのスタイルを変えずに、初のシゲ爺の体当たり弾丸ツアーに突入です。途中和倉温泉で昼風呂に入り、553キロ走り午後4時過ぎ輪島の白米千枚田に無事到着しました。



旅か苦行か?大渋滞の高速道路

ショボ降る雨の中を「どこまで行っても土日祝千円」と言う言葉に踊らされ、行ってはみたが感想は二度と嫌だ!やはり私には平日ヨロヨロと下道を走るのが似合っている。

写真は東海北陸道での渋滞風景!景気が悪いといっても土日はこの有様で特にこのコースは高山、白川郷、五家荘、郡上八幡、等々観光地がいっぱいあるから仕方が無いのかも知れない。

紀勢自動車道もそうだが、東海北陸自動車道も、その半分近くはトンネルで見える景色は暗い中に並んだ電灯ばかりで、美しいであろう山並みはほとんど見えない(もっともスピードが出過ぎていて、景色が開けても見る余裕はないがね)1キロ2キロのトンネルは普通で、中には11キロもあるトンネルまであった。

工事会社が「あのトンネルはわが社が造りましたんや〜!」と、会社の宣伝のために造ったんやないか?と思えるくらい無駄にみえるものや、恐ろしく長いの、こんなに曲げるか?というほど曲がったものあり!一番長いトンネルの出口には事故を想定してだろうが、ヘリポートまであった。


南栃市福光インター付近の景色で、どの農家も広い敷地に、堂々とした黒屋根の母屋に、大きな納屋、倉は無論あり〜ので、高い防風林に囲まれこの辺りの裕福さがみてとれる。

広い平野があると言うことは、戦国時代の昔から栄えていたのでは無かろうか?と想像できる。


能登島「ツインブリッジのと」

南紀を出発して約8時間、ようやく能登半島です。能登島には橋が二ヶ所もあり、税金も余っているのかな〜!と思ったりして!島内は観光施設がたくさんあるみたいだから、橋が二本くらいいるかもね?

我々は能登島に寄り道する時間がないので右手に見ながら走り抜ける。能登半島は見た目より意外に広い。氷見市をすぎると道は狭くなり、思ったより高い峠があったりして、中々おもしろいドライブコースですよ〜!


和倉温泉「総湯」この湯の利用と足湯は無料

先ずは温泉で汗を流し、疲れと爺いの加齢臭を取らなくっちゃ!なんて色気もまだ少しは残ってるシゲ爺でした。

写真は前回来た時も入った「総湯」飲める温泉としても有名で、おっちゃんがペットボトルに温泉水を汲んで、ついでに飲んでいたが「あつい!」と吐き出していた。

そして今日はここのすぐ横で「能登よさこい」の祭りの真っ最中で、温泉の広い駐車場もそんな人の車であふれていた(本当は少し離れた場所に祭り用の駐車場があり、ボランティヤの人が沢山出て誘導してるのに)

私が駐車場に行ったら、丁度出る車があり、天の恵みかと感謝しながら車を入れる。


和倉温泉「総湯」無料でできる温泉タマゴ

さっきこの温泉を飲んでたおっちゃんは「あつい」と言ってたはずや!湯の出口の下では温泉タマゴが出来てるんやから!

タマゴさえ持って行けば誰でも、タダで温泉タマゴがつくれるのだから、この辺の人は良いよな!

でも私はこの温泉タマゴが苦手や(大体シゲ爺はぬるぬる系が苦手で、目玉焼きは中までしっかり火が通ったものしか美味いと思わない)


和倉温泉「能登 よさこい祭り」

若者が派手な衣装で跳ね回るよさこい踊りの中で、このグループは特に異彩を放っていた。

彼女たちはこの祭りの常連らしく沿道の拍手も多く、花魁の美しさは当然として、特に前の二人の踊りには圧倒されっぱなしで、

楽しさをここまで表現できる彼女たちに拍手喝采をおくりたい、そして目立つことの苦手なシゲ爺も、思わず釣られて踊りだしそうになり笑ってしまった。


よさこい花魁道中!

手前の派手な踊りに対して、花魁の優雅な足さばきと、あくまで無表情な顔が、何とも怪しげで、目の前にこういう美女が現れたら、男が狂ってしまうのが分る気がする。(金なし元気なしのシゲ爺でもひょっすると、ひょっとするかもよ?)

そういえばこの頃はメイドカフェでも「おかえりなさいませご主人様」ではなく、ツンとすまして笑ってもくれないどころか、怒られるようなメイドカフェがあるそうですが?


よさこい花魁道中!

元気いっぱいのよさこいの中で、このグループはこんな感じのパホーマンスです。

かむろ(見習いのこども)を従え、八文字歩きの優雅な「よさこい!」



 

見物人からは思わず威勢の良いかけ声がかかり、まるで歌舞伎(行ったことはありませんが)のような華やかさで、花魁よさこいは大盛り上がりでした。

子役のこの子も楽しさを、かみ殺しての道中よくやりました。

君がヘラヘラしてたら花魁の気迫も半減するところでした。

傘持ちのおっちゃん!・・・・・・あんた一人やで・・・男は!・・・ええな〜!


シゲ爺ををみた

最後の最後!私をみつめ(考えすぎでっせ エロ爺ちゃん)少し歯を見せ、指でかわいく「よさこい」を踊ってみせてくれた。

本当はすましてないで、おお股をひろげ飛び跳ねて踊りたかったのかも知れない。

傘持ちのおっちゃん・・・・・・・・・・・・・・・・・おつかれさん!



 

前々から、全国的に広がっている「よさこい踊り」、我が田舎の近く「新宮市」でもあるそうなのに、まだ一度も見たことが無く、どんな踊りか見たかった。

それが偶然通りががった能登で、温泉に行こうとしてして寄り道した、その温泉の横でやっていたのにはラッキー


若者パワー!

若者が熱狂するだけあって、かなり激しくリズムカルで、振り付けがそれぞれユニークで美しい。

踊っている本人が一番楽しんでいるのがよくわかった。全国的に流行るわけだ!麻生さんには分かるかな〜!


これぞよさこい踊り!

踊りがバラバラのようでちゃんとまとまっているから、ついつい見とれてしまう。


力強さに感動!

かくグループの最後列は写真のように恐ろしく大きな、それぞれの連がデザインのちがう様々な旗をかっこ良く振り回す若者がいて、渾身の力で美しく旗を泳がせた時は、おもわず沿道から拍手が起こった。


白米千枚田

雨が続き、予定より二週遅れで石川県の輪島市「白米千枚田」に、ダメ元で来ました。

途中で温泉に入り、見も心も清めたおかげか?天気は見事に回復し、水平線上にも嫌な雲もなくワクワクして太陽が沈むのを待ったが、夕焼けにはなりませんがな!

同じような仲間が歩道上に10人ほど、三脚の列を作ったが皆から出るのはため息と、声にはならないが不思議と分る、クソっと言う心の叫び!だれのせいでもない、これが自然なのだ。

みんな分っているから声に出せないだけなのだ。


夕日待ちのシゲ爺!

カメラのレンズが列ぶ白米千枚田 

草をもくもくと刈っているおっちゃんがいて、余程カメラ慣れしているのだろう、嫌な顔一つしないでモデルになってくれた。

ここは日本一の棚田(私は密かに丸山千枚田が一番だと思っているが)と言われているので、年から年中アマチアカメラマンが訪れるのだから「レンズが嫌だ」なんて言ってたら百姓は出来ないだろう。

でも誰でもそうかと思い、やたら厚かましくカメラを向ける人もいるが、中にはむっちゃ嫌がる人もいるので、写真を撮る時は、やはり一声かけて撮ってほしいと思います。そうでないと後から行った人が、そのために行ったんじゃないのに、前のカメラマンの嫌事を聞くはめになってしまう。


これまでか!

夕日が真っ赤に焼けてくれるのを待つなら、何日かここに泊まり込んで待つべきなのは常識!

で・す・よ・ね


御陣乗太鼓(ごじんじょうたいこ)

御陣乗太鼓の由来を調べてみると、1576年 越後の上杉謙信が、能登の名城「七尾城」を攻略して、その余勢で奥能登平定に駒を進めた時から話がはじまる。

破竹の勢いで各地を平定し、名舟村へも押し寄せた。武器もない村人は鍬や鎌で郷土防衛の一念に立ち上がったとき、村の知恵者といわれる古老の指図で、樹の皮で仮面を作り、海藻を頭からかぶり、太鼓を打ち鳴らしながら、寝静まる上杉勢に夜襲をかけたそうな。

思いもよらぬ陣太鼓と奇怪な怪物の夜襲に驚愕した上杉勢は、戦わずして退散したと伝えられている。

毎年7月31夜から8月1日の 奥津姫神社の名舟大祭では仮面をつけて太鼓を打ち鳴らし神興渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしが現在まで続いているようです。

一度行って、この目で確かめたい祭りだとはおもいませんか!とにかくリズムがスゴい太鼓ですよ!


世の中は広い

日本中に和太鼓のプロやクラブがいっぱいあるが、ここ能登の「御陣乗太鼓」も、すごい太鼓のひとつだろう。

元来太鼓は楽器であるまえに、戦いの先頭に立つ武器でもあったはずだ。そのためか、人間のDNAの中には太鼓の音を聞くと血が踊るようにすり込まれているようだ。

世界中の音も形もリズムもちがう太鼓、あの単純な音の連続がなぜだか踊り出してしまう。


輪島市民祭り

大小たくさんの、ねぶたが登場

棚田は残念ながら、早苗が大きく成りすぎているし時期的に水を抜いていたので、水面が見え辛くピカッとは光ってくれなかった。それでも10人程が来ていて立派なカメラの展示会をしていた。

夕日の競演が終わり、明日の輪島の朝市を冷やかして帰ろうと、時間的に朝市の駐車場でホテルを開業した方が楽なので、そちらへ移動したら、市民祭りの為に駐車場には入れてくれない。一キロ程離れた「元輪島駅」が、今は道の駅になってるので、そこに駐車して祭り見物に行ってきた。

和太鼓の素晴らしい演奏と、予想外の花火に遭遇して、大満足で帰ってきた。特に花火は短時間だが密度が濃く、最高だった!

祭りが終わってから、月がまぁ〜るいので棚田に引き返して月の棚田が撮れないか?挑戦してみたが、

あいにく月の位置が低く山から顔を出してくれず、いくら待っても棚田に光が届かなくて残念ながら、また来た道を引き返し朝市の駐車場で「ヨロヨロホテル」を開業!同じような仲間がかなりいた。


密度の濃い輪島の花火に感激
●6月7日(日)  輪島朝市→名古屋→三重県

輪島の朝市

せっかく来たのだから、朝まで待って有名な朝市に出かけた。少し早すぎたみたいで人も店もまだ寂しい感じ!


輪島の朝市

朝市と言うから、店が閉まってる時間帯シャッターの前で、おばさんたちが魚や野菜を売ってる!と思っていたら、そんな店も沢山あるが格店がワゴンを出して早くに店を開ける、やる気満々の商店街でもあった。


これだよ!輪島の朝市は

これが私のイメージしていた朝市!たしかにこういう店は安い!「あすなろ」の小さな苗を買ったが400円を300円にまけてもらった。



嫁これを買う

下手な店員より上手な売り込みで「私が手づくりしたんよ」と言われると、ついつい買ってしまいそうになる。嫁が持ってる 小さなわら草履も、やはり「私がひとつ一つ作ったんよ!足が丈夫になるおまじない」と言われ、嫁が100円という大金を投じて買った。

店々から「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と声がかかり、いちいち返事してたら前に進めないので適当にあしらっていると「値段くらい聞いてもええんちゃう」と、何だか怒られてるみたいな雰囲気で・・・

なかには無視して通り過ぎると、聞こえよがしに「なんで買うてくれんのやろね〜!」などと言うおばちゃん!それもこれもあっての朝市なのだ。

おばちゃんとのやり取りは楽しく、話せば意地の悪い人は一人もいなかったが、みんなのご機嫌をとって回る程私も暇でないので、つい会話を交わした隣りの店でつれなくすると「なんで・・・」の言葉が出てくるのではないかと思う。

安い店は安いし!高い店は高い!我が家のおネコさまのために「またたび」の木を5本買って帰ったが、あんな木があるなんて知らなかった。

ネコたち待ってろよ原木の「またたび」で遊ばせてやるからな!



輪島にて

輪島の朝市で見つけたちょっと懐かしい物!現役でちゃんと水が出ている。

今回の弾丸能登の旅は1泊3日で、走行距離は1110キロ、あほみたいに忙しい旅だった。

贅沢なトンネルを走ることができたし、その道路から雪をいただいた白山の姿も見ることができた。

白米千枚田では、かっこいいクラシックカーのパレードも見たし、ひるがの高原SAではあふれるほどの車の行列もみた。

何より、今回のような旅は旅とは言えないと言うことが分ったのが、大きな収穫だったかも?

そんな情けない収穫を今更分ったとは! なんて 声が聞こえますが!本来シゲ爺とは、そんな進歩のない、計画性の無い男なのです。

分ったか〜!!!これからもそのつもりで付き合ってくださいますようにお願いしときます今回の弾丸旅は、ETCを付けたのでうれしがり、使いたくて行き先を決めたようなところが少しあり「土日祝限定」と聞いたら、頭の固いシゲ爺は?

マインドコントロールされた何とか教の信者みたいに、日曜には帰らなアカン!と思い込んでしまったから、あろうことか1泊3日の弾丸ツアーとなり、高速道路を現役時の運転手を彷佛とさせるタフさでアクセルを踏み込み、リタイヤ後のシゲ爺とは思えないような右側走行で、経済運転なんて頭の隅にもなくなってしまった。

予想外に運転を続けたのは、長年の感覚を体は覚えていてそのスイッチがどこかの地点で入ってしまったのかも知れない?体力も考えずフラフラになるまで運転を続け「このままではイカンナ〜?」と、思い始めたのが帰りの高速道で、それも高速が後30キロほどで終わる紀勢自動車道のSAでして、その後は今までより10キロほどスピードダウンをして走ったが、それだけのことで「こんなに運転が楽なのか」と再認識感したにはしたが後の祭りだ。

その道は高速道といっても一車線づつの交互通行でありまして、時々譲り合いレーンがあり、そこで皆さんには先に行ってもらうようにしてたが、気がつくと後続車が!悔しいが常に私が先頭を走る有様だった。お許しください シゲ爺はもうじき「モミジマーク」の年寄りで〜す!一番前を走るのは気持ちのいいもんです(本心はうそですよ〜!)

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