| 2月6日(土) みそぎ!
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いよいよ今夜が「神倉神社」の、お灯祭りです。 シゲ爺は登ったことは無いですが、この辺りの男は一生に一度は登るのが当然だ!と言います。
今年は縁があって「荒坂津神社」の、ミソギの儀式を撮影することができました。三輪崎の浜で9時過ぎより始まった寒中ミソギは15分以上海中で「般若心経」を唱え続けるもので
見ているだけでも寒い!
上がって来た辻さんに聞くと「実に爽快で寒くはない」そうです。来年はぜひ参加して下さい!と言われたが、心臓が悪いので「そんな恐ろしいこと出来ません」と丁重にお断りしたが、お灯祭りには参加しても良いかな?なんて 思いだしている。
写真は海に入る前のもの!
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こんな所で毎年禊をしてるのを知ってる人は、地元の人でもあまり居ないと思う 参加者は大阪、神戸、三重、愛知、千葉の人で地元人はいませんでした。
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このスタイルで15分以上念仏と唱名を唱える
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悲しいかな、シゲ爺にはこのシーンへのコメントは書けません
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禊が終わった直後の参加者! この笑顔がすべてを物語っている! 毎年この祭りに参加するため遠方からきて、身を清め祭りに参加してるそうです。
戦前は祭りの参加者はみんなこうして禊をして「神倉山」に登ったそうですが、何時しか「けんか祭り」の様相をおび、身を清めて神に祈る精神が無くなったそうです。それを憂いて、20年程前から新宮市の有志が禊を復活してるそうで、そちらも後ほど写真をおくります!
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新宮市「王子ケ浜から御手洗を越え三輪崎迄の1.5キロ」の熊野古道を初めて歩いて来た。先ずは定番の看板から始まります
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江戸時代からの石畳が残る素晴らしい参詣道だった。片道1.5キロで(横道にそれたりしたので往復3.5キロほど歩いた)
適度に起伏があり、散歩には丁度良いとみえて地元の人らしき年寄りが何人も歩いていた。 我々はカタツムリ歩行で往復2時間ほどの散歩で昨日に続き 良い運動になった。
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御手洗の石仏「念仏碑」江戸時代中頃、三重、滋賀、大阪出身の人の念仏記念に建てられたそうです。昨年の台風で倒れたのか?かなりの量の大木が倒れてる所もあったが、道路は石畳道あり石段あり、木の根っこ道ありと変化に富み、きれいに整備されたこんな道が国道のすぐ側にあるなんて、ある感動を覚える!
国道の喧噪はここまでは届かず、昔のユックリズムを味あうには手軽で最高の所ですので、皆さんも一度歩いてみてはいかがでしょうか?
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五輪塔への狭いが素晴らしい道です。海を越える山の中の古道ですが、その昔 ここ高野坂は街道であり、道のあちこちには昔の石垣が沢山残っている。
茶店や旅籠などがあったのではないだろうか? 立派な石垣もあり当時を偲ばれるロマンある場所だったよ!
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石垣フェチのシゲ爺にとって、しびれる道だった。 今のような車のない時代、「蟻の熊野詣で」と言われる程の人々がこの道を歩いたのか!と 思うだけでしびれてしまう。
何百年前の人と 同じ場所で同じ景色を眺め、同じ石仏を拝む、どうですゾクゾクしてしまいませんか!
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どうだ! ここが王子ケ浜だ!左側の見えない部分一帯が「御手洗」と呼ばれている所だそうです。この浜の向こうの方寄りで新宮の有志の禊が正午より行われた。
遥か向こうの白い建物群は新宮市街です。
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シゲ爺 連日の遊びで疲れてしまい昨夜は「お灯祭り」を見物し、車の運転もふらふらになってどうやら家に帰った。
これから沢山の写真を載せるが、全部昨日の写真でニュースとしては遅すぎるが、この祭りを知らない人には 古く1400年以上前から続く南紀の代表的な祭りの一コマを楽しんでもらえたら! そう思います。
これから神倉山に向かってお祈りが始まります。
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シゲ爺たちが10代のころは、戦後復旧の好景気で若者は売り手市場で その頃シゲ爺は、自転車旅行を終え、田舎に帰り運転免許を取れる年齢になったので免許を取り、少しの間プラプラしてた所で、
写真が好きだったので出入りしていた写真やの旦那さんに「若者が遊んでいてはアカンから、うちで働きなさい」と言われ、写真屋さんの店員になつた。ホテルや駅の売店にフイルムの配達、現像焼き増しと写真屋さんの修行がはじまった。
満州の引揚者の旦那さんは、向こうで手広く商売をされていたそうで、その気質は「豪快で慎重」和歌山でも1−2の写真屋さんを一代で作り上げたのだからすごいひとでした。
そして特筆すべきは、無類の美食家であったことです! そのおかげでシゲ爺はみるみる太り56〜7キロだった体重が80キロになってしまい、それが心筋梗塞をおこす56才迄、その「貫禄のある体重」を維持したのだ! その写真屋さんの息子が(水野氏) この度の「大浜での禊」の主役です!
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準備体操
気合いを入れるために、体操をしながら 少しずつ精神を統一していく!
今から20年程前から「お灯祭り」のモラルが低下し「けんか祭り」のようなイメージが付き、1400年以上続く地域の伝統行事がゆがんだ方向に行ってしまっている。
そう感じた水野氏は(我々店員は「はるおちゃん」とよんでいた) 精神性など目にみえない核となるものをなくしたままだと、単なるイベントとなってしまう!
精神的なものがないと、上がり子(白装束で松明をてに山に登る人)が空虚になり意味がない!忘れてはいけないことを残すために、誰かではなく自分たちが!
そんな決意で はじめたら年々参加者が増え、今年は「朝の禊」と二度に分けてしたそうです。(そちらは知らなかったが、朝日が途中で登り素晴らしい写真になったと、カメラマンがいってました)
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いざ海へ!
この日は風があり、どれだけ寒かったか? そんな軟弱なのはシゲ爺だけか? 男の祭り!まさにそんな感じだ。
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男の祭り!
この日 1日だけ「神倉神社」は女人禁制となる。 熊野に上陸した神武天皇のもとに、松明を手にした男たちが駆けつけたという故事にちなみ、
今年は2500人の上り子が白装束に荒縄を巻き松明を持って神倉山に上ったそうだ。(新聞によると)
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祝詞がおわり!
神職の「福井鉄(まかね)氏」による「大祓」の言葉もおわり、男衆は「よし」と気合いを入れ刺すような海の中につかる人もいた。
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禊が終わり!
みそぎが終わり、各人お神酒を頂き、火の側でひと時 張りつめた精神を解きほぐす!
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大海原!
男たちを清めてくれた海は 元の静かな海にもどった。
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山は火の海!
ご神体の「ごとびき岩」に集った2000人の白装束の上り子(のぼりこ)の松明に火がつけられ、午後8時山門が開けられると「ウオー」と言う歓声が地響きのように上がり、その声はずっと離れた場所で見ていたシゲ爺にももちろん聞こえた!
その歓声は「ずっしりと重いもので」人間の声とは思えない、無理に例えるとしたら地鳴りに似たゾクゾクする響きだった。
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お灯祭り!
県の無形民族文化財に指定されている「奇際 お灯まつり」 一カ所に閉じ込められていた上り子たちの松明に火がつけられ、8時 門が開けられると元気な若者が538段の不揃いの石段をはねながら先を競って走り下りるそうだ。
その様は「お燈まつりは男の祭り、山は火の滝くだり竜」と昔から言われているそうだ。今は高い家があり、木々も大きくなったので「くだり竜」を一望できる場所が見つからない。
行き当たりばったりに、この写真の場所を見つけたのは運が良いというものだが、それでも全体の3分の1位しか見えていない。
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| 2月5日(金) 20年ほど前の!
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いかにもひ弱そうなスイトピーだが、5日経つのに今日も プレゼントされたままの美しさを保っている。
茶釜の錆はどうしても取れなく、どこで調べても修理に出すしか方法は無いらしいが、余程高価な物か、思い入れの強い物でなかったら「買った方が安い」と書いている。 トホホ
10日ほど茶釜に掛かりっきりで薪をくべてるが、お茶っ葉を入れたときは「きれいな色になるのだが」水で慣らしをやりだしたら、とたんに錆が浮いて来てしまう。
嫁は諦めて「花瓶にでも使うから」と言うが、悔しいのでシゲ爺独自のやり方を考案?ダメ元でヌカを入れて三度目に挑戦中
今日の遊びの写真は、ズート前に植えた「わさび」がどうなったか? 調べに「尾白」に行ってきた。一枚目は20年程前の台風で倒れた杉の木、もうすっかり苔むしてるがまだまだ自然に帰るまではなってなく、芯はしっかりしていて勿体ない廃棄物だ。
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こちらの倒木は、昨年の台風で倒れたもの、先祖が孫のために一生懸命植林し、下草刈を10も続けてやっと楽になったら、最近 木材の値段の暴落で、間伐や枝打ちの手間もかけられなくなり、打ち捨てられた山が台風の追い打ちで哀れな姿になってしまった。
これら間伐材や竹などからガソリンが作れれば、(作る事は出来るが、使う側は環境より値段を重視するので実現してない)山に従事する人も確保出来るし、自然環境も守れるので一石二鳥なのだが? もちろんシゲ爺は安いセルフの燃料を入れる! 言うだけで すいませんね!
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同じような写真でスイマセンが、嫁が写ってるので関係者に一見 元気そうな姿を見せるために載せてみました。
この倒木も昨年の台風の時のもの、約50分ほどかかる、尾白までの ほぼ どこででもみられる風景でした。
我が家の山「尾白」は、20年前の台風でかなりの杉の木が倒れたが、昨年の台風の被害は無かった。 でも山田(棚田)に植えた杉や檜は 土と 排水が悪いので育ちが悪く、売り物になる木材には成りそうも無いのが実情です。
それほどのしんどさも感じることなく、登り着いたが 目的の「わさび」は跡形も無く消えていて、あたりはイノシシの のたうち回った跡がそこここにあるばかり! わさびは10株以上植えていたので 内心楽しみにしていたが、10年近くほったらかしていたので、わさわさ生えていたら虫が良すぎるか! わさびは一つも無いのが分かったので ある意味安心だ!
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分かりにくい写真ですが、三方に石垣が残ってます。シゲ爺が生まれるもっと前から、この石垣に囲まれた3帖ほどの空間に屋根やドアを付け農機具や鍋や茶碗など、最低限度の生活用品が置いてあった。
今は鬱蒼とした山になってるが、シゲ爺が子供の頃は この辺りは一面が田んぼで今で言う棚田が山の上迄続いていて、農繁期になると沢山の人がきていて、山の中なんて感じは全然感じなかったものだ。
田んぼの真ん中を川が流れていて、そこでエビを獲ったり、泳いだりしたもんだが、今みると水の美しさは変わらないが、こんなに小さかったのか?と思ってしまう。
でもその川の石垣に生えてる 椿の木の枝振りは、なぜかはっきり覚えていて、生い茂る杉の木にも負けないで枯れる事無く、当時のままの見事な枝振りと大きさでそこにあり、(1センチも大きくなってないように感じる)ここがシゲ爺が遊んだり手伝いをした懐かしい場所だと教えてくれる。
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シゲ爺は尾白で、感傷にひたってばかりいたのではありません! 間伐を25本ほどやり大汗をかいたし、一部の日の入る場所ではツルせいの植物がはびこり、ジャングルと化していた。
嫁の提案で、このジャングルを切り開く事にしたが、 思ったよりも10倍は手強く二人共鉈を持つ手に力が入らず、振り下ろしたとたんに鉈が飛んでしまうこともあった。
間伐の時の汗の二倍ほどをかいての作業になったが、二人共 大満足の遊びだった! でも最後は「こんなことしても、何にもならないし2〜3年もすると元のモクアミだね」と言う話しになったが、これが人生であり、楽しかったのだから良いんじゃないか!
写真は20年前の倒木に杉の苗が生え、自然界の世代交代の見事さを見せてもらった。 帰り道はヘトヘトで、どうやら家にたどり着いたが、今迄なぜ肩や腰が痛いのか?どこか内蔵でも悪いのではないかと思ったりしたが、今日程馬力をかけて作業すると「即 痛い!」
今日のやりすぎた作業で、普段から肩や腰が痛いのは、自覚してなくても弱った体力で少しなれないことをしたとき痛くなると言うことが分かり、それが分かった事も本日の収穫の一つでした。 では長々と書き それにつき合ってくれた貴方に感謝します! 今夜は早めに風呂に入り早めに寝ます! では お・や・す・み・な・さ・い
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